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【マニアック史跡】高屋敷館遺跡に行ってみた

どんな遺跡?ざっくり説明。

平安時代の環濠集落

この遺跡は平安時代に栄えたとのことです。青森市のサイトに以下のように記載がありました。

高屋敷館遺跡では10世紀ごろから12世紀ごろまで人々が住み、11世紀には壕と土塁に囲まれた集落として最も栄えたとみられます。

また、現在の保存状態にする前の状況を知りたい場合は、青森市のサイト その2を見るといいです。そして、浪岡にある中世の館でも高屋敷館遺跡の展示が2020年3月20日よりスタートしており、合わせて見学すると完璧です。

千年前に思いを巡らせると、植物の種類は変わったのかな、雪は今より多かったのかな、どんな人たちだったのだろう、など、様々な風景が脳裏に浮かびますね。

また、

「環濠集落」って何?

という方も多いかと思います。筆者もそうでした。

wikipediaによると以下のような定義だそうです。

周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。

堀で囲うことにより、水の確保や集落の守備力の強化などしてたのでしょうか。ロマンありますね!

国道バイパス工事で見つかった

国道7号線のバイパス工事の事前調査時に発見され調査した結果、遺した方がよいということで、真上を通るはずだったバイパスを西にずらして遺跡を保存することになりました。

もしバイパスがここを通っていなかったら、その存在を知ることもなかったかもしれない。と思うと幸運でした。

ただ、発掘に関わった弘前大学の教授によると、この遺跡は広い可能性が高いそうです。全容を解明する機会が今後訪れることに期待したいですね。

国の史跡指定や一般公開開始の時期

史跡指定:2001年1月29日
一般公開:2019年9月21日

では遺跡に行ってみよう

国道7号線沿いにひっそり佇む

高屋敷館遺跡は、国道7号線沿いにひっそり佇んでいます。

道の駅「アップルヒル」から北(青森市街側)に向かって車で数分行くと右手に、青森市街側から南下して向かう場合は、津軽道に入る交差点を過ぎて数分すると左手に見えます。

入口はこんな感じです。

青森市街側(北)から向かうと遺跡の看板と「P」の文字があるので迷わないですが、「アップルヒル」側(南)から向かうと、そういった目印がないので唐突に表れる印象があります。見逃さないで!

駐車場はかなり広いです。

遺跡に入る

公開されているが、予想通り誰もいなかったです。貸し切りということで、心置きなく堪能しよう(笑)

駐車場からいよいよ遺跡の中へ。

まず、総じて言えるのが、キレイということ。

まだ公開して半年なので当たり前なのですが、キレイなのが嬉しいと同時に、もっとたくさんの人に見てもらって少し年季の入った”こなれた”、遺跡っぽい遺跡に早くなったらいいなと思います。

まず最初に、国のお墨付きを証明する、高屋敷館遺跡の石碑がお出迎えしてくれます。真新しいですが、重みを感じます。

約20m歩くと、案内板があります。

個人的には、今の規模なら無くても困らない気がします。が、今後これが必要なほど大きな遺跡設備になったらいいなと思います。

「順路」に導かれて進むとこんな景色が。

濠の外観です。

水仙のつぼみがたくさん。もうすぐ北国にも春が訪れそうです。

集落の中へ

いよいよ集落の中へ。

当時が一部再現された集落入口から、当時の人々の気分を想像しながら、橋を渡りましょう。なんだかワクワクします(笑)

橋から左右を見ると、濠の形状や深さが分かります。

集落は、以下のような感じで保存されています。

正直、少しでいいので何か立体的な復元が見たかったです(^^;)

が!どんな建物があったかの痕跡は探ることができて、これはこれで意外と楽しかったです。

「竪穴建物跡」です。

「鉄器生産関連遺構」です。

遺跡の各建物に見られた「赤と黄の何か」。

各所にあった以下のようなマークは何を示しているのか分からなかったのが残念でした。

気になるーーー。

濠の斜面にはフキノトウがちらほら。千年前も生えていたのでしょうね。

コンパクトな遺跡で、余程遺跡に造詣が深くない限り、30分もあれば十分見れます。

今のところ”貸し切り”なので、気軽に訪ねてみてはいいのでは。

最後に、遺跡の各説明版を載せます。よろしければご覧ください。

その他情報

  • 所在地
     青森市浪岡大字高屋敷字野尻(国道7号線沿い)
  • 問合せ
     017-718-1392(青森市教育委員会事務局文化財課)